読谷村のあゆみ
読谷村のあゆみ
遥かな時を超えて、人々が守り育ててきた心。未来への夢と憧れ。抗し難い時代の力に揺れ動く小さ な魂。そして、人間の本性に基づく根源的な精神の発露、「喜怒哀楽」。時の流れが創造した歴史ロ マンの扉を、4つの鍵が開きます。進取の精神に満ちた、誇り高い読谷村のあゆみをイラストでご紹介します。

「喜」1-大交易時代へ
琉球が3つの小国家(「北山」ホクザン・「中山」チュウザン・「南山」ナンザン)に分かれて覇権を争っていた時代、中山(チュウザン)の王「察度(さっと)」の命をうけた「読谷山(ユンタンザ)」の青年「泰期(たいき)」は、1372年、中国(当時「明」)に貿易船を出し大交易時代を切り開きました。15世紀には尚巴志(ショウハシ)により、統一国家琉球王国が誕生しました。琉球の船は、日本、朝鮮、シャム(タイ)、マラッカ(マレーシア)、ジャワ、パレンバン(インドネシア)、安南(ベトナム)、ルソン(フィリピン)などへ出かけて行きました。
「喜」2-読谷山の繁栄
琉球が3つの小国家(当時は中国に船を出して貢物を送り、中国に自国の地位を認めてもらっていました。これを、冊封(さっぽう)体制と呼びます。この進貢船での中継貿易が大きな利益を生みました。その代表的な取引商品は、馬、硫黄、絹織物、陶磁器、刀剣、美術工芸品、象牙、香辛料などでした。進貢船がもたらした、外国の品々や文化を積極的に取り入れ琉球は未曾有の繁栄を築きました。読谷山も外来の文化を吸収し栄え、「読谷山花織(ユンタンザハナウイ)」や「焼物(ヤチムン)」などの伝統工芸品や多くの民俗芸能を今日に伝えているのです。
「怒」1-時間稼ぎの捨石作戦
明治政府発足以後の富国強兵の国策により戦時体制に組み込まれた沖縄では、アジア太平洋戦争末期、村内にも多くの村民が動員されて陸軍の北飛行場が建設されました。1945年4月1日、米軍は読谷などの中部西海岸線から上陸し、約3ヶ月もの地上戦を展開しました。それは、住民を巻き込んだ、想像を絶する凄惨な地獄絵図だったのです。沖縄戦は、「時間稼ぎの捨石作戦」でした。その特徴は、「住民犠牲の多さ」と、軍による「住民虐殺」が挙げられます。沖縄戦は、日本本土を守り、国体(天皇を頂点とした国家統治の体制)を守るための時間を稼ぐことを目的とした戦いだったのです。
「怒」2-鉄の暴風
沖縄戦では、琉球王朝時代の貴重な歴史遺産である座喜味城が日本軍の高射砲陣地として使用され、米軍の攻撃により破壊されてしまいました。日本軍は首里(しゅり)城の地下に指令部壕を構築したために、首里城も破壊されてしまいました。南部では、非難していた十数万の県民が壮絶な戦闘に巻き込まれたのでした。結果として、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦では、日本の軍隊に殺されたり、地上戦の中で、筆舌に尽くしがたい悲惨な体験をした人たちもいました。戦後沖縄のジャーナリストらは、圧倒的な物量誇る米軍の凄まじい砲撃を、「鉄の暴風」と表現しました。
「哀」1-太平洋の要石
焦土の中から、沖縄の戦後がスタート。ようやく戦後生活の基盤を築いた頃、1950年6月から朝鮮戦争が始まり、沖縄では米軍の基地拡大が顕著になりました。住民の意志を無視した土地接収が行われ、沖縄各地で県民の財産が理不尽に奪われていったのです。1952年にサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約が結ばれ、沖縄は日本から法的に分断されてしまいました。60年代のベトナム戦争、以後の世界各地での紛争に介入する米軍は、沖縄を「太平洋の要石」と呼び、世界の最前線と直結する軍事基地として沖縄を利用してきました。
「哀」2-反基地の闘い
戦後一貫して米軍基地は拡大強化され、基地の村「読谷」では、今でも生まれ育った故郷の土地に戻れない人々がいます。米軍の砲火で崩れ落ちた座喜味城跡も、米軍ミサイルのレーダー施設として使用されました。村民の暮らしは常に米軍の動きと隣り合わせの状態でした。さらに、米軍演習による事故や、米兵による事件・事故も多発、人権を無視し人命を奪う米軍基地に対して、読谷村民は正面から対峙し、一貫して反基地の闘いを村民をあげて取り組んできたのです。永年の闘いの結果、1972年5月15日、沖縄は日本復帰を果たします。しかし、米軍基地は未だ沖縄に居座り続けているのです。
「楽」1-「自治の郷」「平和の郷」の建設
1972年に沖縄の祖国復帰が実現。しかし、沖縄の米軍基地は維持され、今なお米軍関連の事件や事故も少なくありません。さらに、27年間の米軍統治と基地経済という特殊な経済環境の弊害により、沖縄の産業発展は遅れました。読谷村は、独自の外交戦略で米軍と交渉を重ね、米軍基地の敷地内に国体の会場を設置したり、村役場を建設するなど、憲法に基づく民主主義の実現を目指して、「自治の郷」「平和の郷」建設に向け日々努力を積み重ねているのです。その不屈の闘いは、生命を奪われ土地を奪われた、理不尽な体験から得た貴重な教訓に学び、実践する闘いでした。
「楽」2-平和のシンボル・世界遺産
ある時は米軍演習の現場に盾となって立ち、ある時は米軍の高官に談判し、ある時はアメリカの大統領に直訴して、厳しい闘いを粘り強く続けた村民たちの勝利。米軍基地に「文化の楔」を打ち込むという読谷村の戦略は、「日本国憲法」の「平和主義」「主権在民」「基本的人権の尊重」「地方自治」の精神の実践から生まれました。沖縄戦で破壊され、永年の努力で復元を見た座喜味城跡が、2000年12月にユネスコの世界遺産に登録されました。琉球王国が築いた、中国、東南アジアの各国との友好関係。平和と繁栄の時代の遺産が、500年の時を超えて、平和の尊さを訴えています。