テーマ1:平和を夢見て
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1.苦難の道のりを忘れぬために

悲惨な戦争体験は、読谷村民の心に深くのこりました。読谷村と村民は戦争につながる基地を撤去し平和な郷づくりへむけてさまざまな取り組みをしました。しかし、いまなお 基地に接収され故郷に帰れない人たちもいるのです。 戦後57年が過ぎ集落の歴史を知らない人たちが多くなったことなどで、集落の戦前の暮らしを書き残し、民衆の伝統芸能を継承するために字誌を出版しています。
2.平和創造展
解説文
日々の暮らしに流されてしまい、豊かに安心して暮らせている平和な社会環境はどうしてもたらされているのかを考える村民は少なくなってきています。こうした社会状況の中で「戦争とは何か、何故(なぜ)基地があるのか、平和とは何か」について問いかけ、村民が日常的に平和問題を考える機会として1988年より開催されています。 展示会では、沖縄戦や米軍の統治時代の苦難な時期の写真などやアジア諸国での戦争被害調査報告書などを紹介しています。また、これまでの読谷村の平和行政の取り組みや戦争関連資料などを取りまとめた小冊子「平和の炎」を発刊しています。さらに、平和講演会や平和コンサートなども平和創造展の一環として取り組み、村民が平和を考える機会になっています。
写真解説
3.慰霊の塔に込められた思い(戦没者名簿)
解説文
1945年3月下旬、沖縄本島西海岸には海面が見えないほどの艦船が集結し、上陸前に4万発の砲弾が打ち込まれました。4月1日、読谷村の渡具知の浜から上陸したアメリカ軍は、住民が隠れた避難壕の一つ一つを探し出し捕虜としました。怯える住民たちの中には「アメリカーに殺されるよりは、自分たちで・・・」と死の道を選んだ人もいました。村では村民の沖縄戦の体験を聞き書きし、『広報よみたん』に連載しました。また、字では「慰霊の塔」を建立し、戦争で亡くなられた人たちを祀り、建立経過等を刻みました。読谷村には15の慰霊の塔(喜名・座喜味・伊良皆・波平・高志保・渡慶次・儀間・宇座・瀬名波・長浜・楚辺・渡具知・大湾・大木・比謝矼)があります。
写真解説
4.戦後五十周年記念事業
解説文
1995年は第二次世界大戦・沖縄戦終結50周年になりました。読谷村は各種の記念事業を実施し、記念誌にまとめました。戦後、廃墟の中から復興、異民族支配の27年、日本への復帰、今なお続くアメリカ軍基地被害、激動と苦難の連続する半世紀でした。読谷村は沖縄戦終結50周年記念事業として、読谷村不戦・平和の式典、「不戦宣言碑」・「米軍上陸の地碑」設置事業、読谷村植樹祭、「終戦50年・沖縄戦を考える」作文募集事業、第8回読谷村平和創造展・特別企画展、日本国憲法条文モニュメント製作事業、広報『よみたん』特集コラム連載事業、平和講演会(筑紫哲也氏)等の関連事業が取り組まれました。
写真解説
5.海外移住者子弟研修生の受け入れ
解説文
沖縄県は戦前・戦後を通して南米のハワイ等を中心に多くの国々へ移住者を送り出してきました。移住地における言い尽せないほどの多くの苦労と努力により今日を築いてこられました。その実績により世界各地にウチナーンチュの輪が広がっています。読谷村では、海外移住の歴史的背景から国際交流の一環として平成5年度より、読谷村海外移住者子弟研修生受け入れ事業を実施しています。研修生たちを受け入れるのは、技術等の習得および村民との交流を通して社会の発展に寄与する人材として、国際交流の輪を広げ移住国と読谷村との友好親善に資することを目的としています。
写真解説
6.長田・牧原の思い
解説文
軍用地に接収されて半世紀以上が経ち、元集落のことを知る人が少なくなっています。地域内の情報を正確に整理し、字誌編纂や軍用地の跡地利用構想に向けての取り組みが期待されています。「長田」は廃藩置県後、山間地に入植した屋取(ヤードゥイ)の集落で、明治29年に行政区が発足、米・養蚕・茶の栽培が盛んでした。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収され 現在地の大木およびその周辺に移り住んでいましたが、その後各地に転居し往時の人々は少なくなりつつあります。ふるさと発見活動の一環として、1995年には旧長田の民俗地図が完成しました。「牧原」は琉球王府時代の牧(牧場)で、そこに入植してできた集落です。明治期には溜め池・トロッコ軌道・農道など県下初の圃場整備が行なわれ、農業の先進地として活況を呈しました。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収されたため、現在地の伊良皆および比謝あたりに住んでいます。
読谷村内では規模の小さい区ですが、”ふるさと発見活動”などを通して区民が一致協力し、未来にむけて始動しはじめています。
写真解説
7.村史・字誌の発刊
解説文
読谷村では1969(昭和44)年に読谷村の概説史として『読谷村誌』を発刊しました。過去の歩みを理解し、現在を正しく認識することによって、長期の異民族支配下の基地の村にあっても「この村は、私達の祖先が築き、守り続けてきた土地である。」とする村民の主体性を確立し、新しい時代に向けての展望を切り開く努力を続けてきました。2002年3月現在『戦前新聞習性上・下』『文献に見る読谷山』『読谷の民俗上・下』が発刊され、『戦争編』の編集がすすめられています。 各集落では歴史・伝統芸能などを継承し復活にも力をいれています。各集落の祭りや行事、民俗などに加え、戦争体験者による聞き取りもされています。すばらしい芸能を引き継ぎ、発展に力を入れるとともに、字誌の発刊も活発で、宇座『残波の里』・波平『波平の歩み』・渡慶次『渡慶次の歩み』・楚辺『記念誌』『楚辺誌「戦争編」』・比謝矼『比謝矼誌』・渡具知『字渡具知誌「戦争編」』・喜名『喜名誌』・都屋『都屋誌』再版『都屋誌』の8集落10冊が出版されています。

















