テーマ4:島ぐるみ闘争(土地闘争)

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  4. テーマ4:島ぐるみ闘争(土地闘争)

1.新たな土地接収 −アメリカに預けられた沖縄−

解説文

米軍による土地接収は、1952年のサンフランシスコ講和条約締結を前後して、二つの時期に分けられます。米軍は、条約締結前の土地接収をハーグ陸戦法規に基づくものと説明していましたが、実態は明らかに国際法に違反するものでした。

米軍は、沖縄占領と同時に住民を収容所に入れ、居住や農業などに適した広大な土地を軍用地として接収し、これを無償で使用していました。

米軍が囲い込んだ土地は、1945年段階で沖縄本島の面積の182平方キロメートルを占め、米軍が不要とした20平方キロメートルは住民に開放されたものの、1955年段階でも162平方キロメートルは接収されたままでした。

2.農民の闘い −銃剣とブルドーザーによる土地取り上げ−

解説文

サンフランシスコ講和条約発効後、米国民政府は布令91号「契約権」を公布し、賃貸借契約による土地の継続使用を確保しようとしました。しかし、賃貸借期間が20年と長く、一坪の年間賃料は2セント程度とただ同然であったため、契約による土地取得を断念しました。

米国民政府は、1953年に布令109号「土地収用令」を公布し、真和志村(現那覇市)銘苅・具志、宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜、伊江村真謝など、各地で強制的な土地接収を開始しました。武器を持たず必死に反対を訴える住民に対し、米軍兵士は銃剣で武装し、ブルドーザーを使って家屋を押しつぶし、土地を敷きならしていったのです。

写真解説

3.「乞食行進」に現れた無抵抗の闘い −土地を守る4原則−

解説文

強制的に土地を奪われた伊江島真謝の農民は、生きるために接収された土地に入り、爆撃演習下で農耕を開始しましたが、80数名が逮捕され、実刑判決を言い渡されました。家も田畑も奪われた真謝区民の80%が栄養失調となり、主婦数人が死亡しました。

さらに米軍は、耕作をやめようとしない農民に威嚇射撃を行い、農地にガソリンをまいて、農作物を焼き尽くしました。そのため農民は乞食になることを決意し、沖縄本島を縦断する「乞食行進」を始めたのです。翌年、米国は「プライス勧告」を発表しました。実質的な土地の買上に相当するとして、「島ぐるみ闘争」へと発展したのです。

写真解説

4.闘争の終息 −米軍の弾圧とアメとムチ政策−

解説文

島ぐるみ闘争に対し、米軍側は基地に依存している中部地域にオフリミッツを発動し、経済封鎖を行いました。さらに通貨を軍票B円からドルへ切替えて外資導入をはかり、経済界を揺さぶる政策を打ち出しました。その一方で、校舎復興や児童生徒への教育備品の贈呈、琉米文化会館の建設、水道施設や道路改修工事などを行い、県民の分断をはかったのです。

県民は、経済面で妥協もやむをえないとする集団と、あくまでも米軍支配からの脱却をめざす集団とに二分していきました。その結果、沖縄側は政治面で、米軍側は経済面で譲歩し、1958年頃には闘争は終息へと向かっていきました。

写真解説

更新日:2026年03月27日