テーマ2:米軍占領下の沖縄の地位
- ホーム
- 常設展示室
- 第2展示室:米国統治下の沖縄・読谷村
- テーマ2:米軍占領下の沖縄の地位
1.天皇メッセージ −米軍占領下におかれた琉球列島−
解説文
米軍にとって沖縄に基地を建設する第1の理由は、本土決戦の足場としての位置づけでした。そして太平洋戦争が終わると、非武装国家日本を想定し、沖縄を日本から分離して軍事基地化することを考えました。
このような情勢のもと、1947年、マーシャル国務長官あてに「琉球諸島の主権を日本に残しつつ、アメリカによる軍事占領が25年ないし50年、もしくはそれ以上にわたって継続することを希望している」という内容の「天皇メッセージ」が送付されました。
2.切り離された沖縄 −サンフランシスコ講和条約発効−
解説文
アメリカと旧ソ連との確執が表面化し、朝鮮戦争が勃発する等の極東情勢の急変によって、米国は沖縄を極東の軍事戦略拠点に位置づけました。
そして日本が米軍の極東戦略を積極的に支持できるような独立国にするため、1951年、サンフランシスコ講和条約が調印されました。同条約第3条によって沖縄は日本から分断され、米国の統治下におかれたのです。日米両政府は、日本復帰を願う沖縄の民衆の意思を踏みにじり、沖縄を切り捨てたのです。
それ以降、講和条約の発効された日である4月28日は、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれるようになりました。
写真解説
3.米軍の占領政策 −沖縄を支配した高等弁務官−
解説文
アメリカ統治時代、住民側の中央政府として「琉球政府」がおかれました。形式的には、立法・行政・司法の三権分立の機構を設置していましたが、実際には「米国民政府(USCAR)の布告、布令および指令に従う」こととされていました。そして、民政副長官、1957年以降は高等弁務官が、沖縄統治の最高責任者でした。
「琉球政府」は米軍の極東戦略に都合のいいように利用されました。当時4階建の琉球政府の行政ビルは、1・2階が琉球政府、3・4階は高等弁務官のいる米国民政府で、屋上には星条旗がひるがえっていたのです。
写真解説
4.Keystone of the Pacific −アジア戦略の拠点としての米軍基地−
解説文
米軍は沖縄上陸以前から、アジアにおける権益を確保することを目的としていました。1949年に中華人民共和国が成立すると、米軍は沖縄の無期限保有を言明し、翌年には朝鮮戦争の出撃基地として沖縄の基地が使用されました。
そしてサンフランシスコ講和条約発効後は、核兵器及び特殊作戦部隊が常駐する、アジア・中東をにらむ戦略基地としての性格を持つようになりました。
その後、米軍のベトナム戦争への直接介入にともない、前線基地、補給・訓練基地として使用され、復帰後は、湾岸戦争時のような近代兵器を駆使した戦争に対応できる基地として、基地機能の再編強化がおこなわれてきたのです。


