テーマ5:広く -第二次世界大戦-
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1.マレー半島上陸
解説文
1940年ごろ、中国の蒋介石軍への援助物資を輸送するルートの一つとして仏印(フランス領インドシナ、現在のラオス・ベトナム・カンボジア)がありました。日本軍は援蒋ルートを断ち切るため北部仏印へ進駐しました。翌年アメリカは日本への石油全面禁輸にしたため、石油を輸入に頼る日本は南方進攻作戦を決意し、開戦にむけて基地建設をすすめました。開戦に踏み出した日本軍は、41年12月8日午前1時ごろマレー半島のコタバルなど数ヶ所から上陸し、イギリス軍・タイ軍と交戦、マレー半島を占拠しタイ国に軍隊を進駐させました。タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を建設し陸上補給路を確保する軍用鉄道を短期で完成させました。苛酷な強制労働で捕虜や現地の労働者たちに重労働を強いたことと食糧・医療の不足で数多くの犠牲者をだしました。東アジアの海の要石セレター軍港(シンガポール=昭南)を占領、戦略物資の石油を確保するため南方の油田を手にいれました。43年には産油量は789万klに達して、その29%がシンガポールを経由して日本に送られました。しかし、44年になるとアメリカ軍のマニラ進出でアメリカ潜水艦や航空機からの攻撃で日本のタンカーは撃沈され、本土に石油を輸送することが困難となってきました。本土では石油が不足し、バスまでが薪を使って走っていました。
写真解説
2.真珠湾攻撃
解説文
ハワイは1900年にアメリカ領となり、約120の小島群が散在しています。真珠湾はオアフ島にある天然の良港でアメリカが太平洋にむけて権益を広げるため、第一次世界大戦後に本格的な基地化が進められ潜水艦基地が設営されました。太平洋戦争勃発直前にはアメリカ艦隊の母港ともいえる広大な施設が造られていました。
1941年11月26日に択捉島単冠(ヒトカップ)湾をハワイ作戦機動部隊の艦船が出航しました。
1941年12月8日未明、日本海軍は真珠湾に奇襲攻撃を加え停泊中のアメリカ太平洋艦隊の艦艇に大損害を与えましたが、貯油施設・技術施設などはほとんど被害がありませんでした。日中戦争は泥沼化し、国内的にも経済がいきづまっていた日本は、アメリカが石油輸出などの許可制を実施してきたため、勝つめどもないうちに太平洋戦争に突入していきました。
写真解説
3.絶対国防圏
解説文
太平洋戦争の戦局が敗退に転じるなか、日本の防衛線として絶対に確保しなければならない範囲を「絶対国防圏」として策定しました。1943年9月には北は千島列島からマリアナ諸島・カロリン諸島・西部ニューギニアを経てビルマ(現・ミャンマー)までとしましたが、日本軍は兵力も足りず輸送船も撃沈され米軍の攻撃に撤退をよぎなくされたのです。米軍は中部太平洋を戦域するニミッツ海軍大将とニューギニアを北上しフィリピン奪還をめざすマッカーサー陸軍大将が日本本土攻略にむけて着々と進攻していました。
1944年2月にはマーシャル諸島・パラオ諸島が攻撃され、マリアナ諸島防衛のための戦力・輸送船も米潜水艦の雷撃などでつぎつぎに撃沈されました。6月、米軍はサイパンを包囲し艦砲射撃で沿岸砲台や飛行場、市街を破壊し上陸をしました。サイパン守備隊は玉砕し、残された住民たちは海岸の崖から飛び降りおりるなど悲惨な死に追い詰められました。マリアナ諸島を占領した米軍はサイパン・テニアンなどに基地建設をすすめ、関東地方への爆撃を本格化しました。10月にはレイテ・台湾沖で日本軍は戦艦などに爆撃をうけ多大な損失をだしました。日本軍が策定した絶対国防圏を突破した米軍は、45年2月に硫黄島に上陸し占領しましたが、その激しい地上戦は、悲劇の島・沖縄の戦いの前哨戦だったのです。
写真解説
4.沖縄戦と本土決戦
解説文
日本を降伏させるために、本土侵攻を想定していたアメリカ軍はアイスバーグ作戦(沖縄攻略)・オリンピック作戦(薩南半島・大隅半島)・コロネット作戦(神奈川・房総半島)を計画していました。45年3月には沖縄攻略が始まり、住民たちは砲弾の嵐にさらされ3カ月におよぶ激戦のなか、軍人を上回る死傷者をだし4人に1人が犠牲になったといわれています。緑豊かな沖縄島は琉球石灰岩がむきだしになり、白っぽい砂埃と焼け落ちた建物の残骸の島となりました。沖縄戦は本土決戦の時期を一日でもひきのばすため、時間稼ぎの場として、捨て石にされたといわれています。日本軍は広げすぎた戦線に兵士を送っていたため、本土では兵力もなく物資もないなかで松代に大本営を移すための堅固な洞窟を堀り、南九州や関東地方などで防御の体制を急いでいました。砲弾も食糧もすべて現地でまかなえという苛酷な状況下で、沖縄の住民たちは軍隊に協力し逃げ遅れ、砲煙弾雨にさらされ追い詰められ悲惨な最期となったのです。











