テーマ4:広く -アジア・太平洋戦争への道-

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1.満州事変 −15年戦争のはじまり−

解説文

1931年9月、中国東北地域の柳条湖で日本軍がおこした事変で、15年におよぶ日本の侵略戦争の始まりといわれています。日露戦争以後南満州の鉄道とその付属の利権を獲得した日本は多額の資本を投機しましたが、恐慌の影響などで営業が危機におちいっていました。中国東北部での排外主義が高まるなか、満州に駐屯していた関東軍は鉄道の運行に支障のない程度に線路を爆破しました。これを中国軍の仕業として、奉天市をはじめ満鉄沿線の主要都市を占領、戦線を拡大し満州全体を支配下におきました。この軍事行動は関東軍が独断で行なったといわれていますが、日本政府は責任を追求せず、既成事実を追認しました。

中国政府はこのことを国際法に違反するとして国際連盟に提訴、翌年2月イギリスのリットン卿を団長とする調査団が満蒙におくられました。3月関東軍は天津に亡命していた清朝の最後の皇帝愛新覚羅薄儀を執政にして、かいらい国家「満州国」をつくりました。1月、海軍が上海に上陸し中国軍を攻め占領。5月に停戦交渉がまとまり撤退がきまりましたが、列強の眼が上海に向けられている間に「満州国」はつくられました。

32年10月に公表されたリットン調査団の報告書は、日本の軍事行動を正当とは認めませんでした。日本国内でも国際連盟脱退の意見が強まり、33年3月報告書の採択に反対して連盟を脱退しました。

写真解説

2.廬溝橋事件 −日中戦争−

解説文

1937(昭和12)年7月、北京郊外の廬溝橋付近で夜間演習をしていた日本軍は、終了間際に2度の銃撃をうけ、兵士一人が行方不明になっていましたが20分後には行方が判明しました。しかし大隊への報告がおくれ、日本軍は出動し中国軍と交戦が始まりました。この事件が日中戦争の始まりといわれています。

前年におきた西安事件をきっかけに「一致抗日」で統一した中国は、国民党(蒋介石)と共産党(周恩来代表)が2回目の協力体制(国共合作)をつくっていました。廬溝橋事件の2日後の9日には中国との停戦協議が成立しましたが、日本の陸軍は関東軍・朝鮮軍の一部・内地からの三個師団派兵を必要とし、閣議も不拡大方針を掲げていながら陸軍の要求を承認しました。この事件を「北支事変」とよんで、政・財・言論の各界が一つになり国民の意識をまとめ、全面的な日中戦争へ進んでいきました。

1935(昭和10)年、日本国内では自由主義的な思想の天皇機関説に対して軍部・右翼などからの反対運動が高まり国体に反するとして告発され、出版物は発禁になりました。天皇制軍国主義の力が強められるなかで、軍内部の派閥争いで2・26事件がおこり、東京市に戒厳令がしかれました。すべての言論・報道・集会の自由は奪われ、メーデーは敗戦まで復活されませんでした。挙国一致体制がしかれそれを批判する運動や言論には厳しい弾圧の嵐が吹き荒れました。

写真解説

3.南京大虐殺

解説文

中国国内で戦線を拡大し南下していった日本軍は、1937年12月首都南京を占領しました。(南京は1927年以来中華民国政府(蒋介石主席)の首都になっていました。日本軍は進撃しながら住民にたいして強姦・掠奪・虐殺を行い約30万人の中国人民を殺害したといわれ、長江には2万人近い死体が流れていたという証言もあります。南京では4万人以上が殺害され、その大多数は婦女子でした。逃げ場を失った住民たちは外交官の建物にも避難し、それを追うように日本兵は欧米の外交官の住宅にも侵入・掠奪をおこないました。日本国民には聖戦として知らされその実態は秘密にされていましたが、全世界には伝えられ憤激をまきおこしました。日本の国民がその実態を知ったのは戦後のことです。

南京攻略部隊には沖縄戦時”球32軍”の司令官となった牛島の牛島支隊も加わっていました。

日本軍は鉄道沿線地帯を占領し、南京にかいらい政権を樹立、戦争目的が「東亜新秩序」の建設であることを示しました。日本の中国独占に対して欧米諸国の抗議が集中し、国際社会の中で孤立していきました。

写真解説

4.大東亜共栄圏構想

解説文

日本がアジア諸民族を支配することを合理化するためにうちたてた構想で、敗戦前にはアジア・太平洋戦争を大東亜戦争とよんでいました。アジアを植民地としていた欧米に代って日本がアジア人と共存共栄していくことを唱えましたが、その実態は日本帝国主義によるアジア諸民族の侵略・占領を合理化させるものでした。八紘一宇(世界を一つの家に・日本の侵略戦争を正当化するために使われた)の標語をかかげ、大東亜新秩序建設をうちだし自給自足経済を確立するため大東亜共栄圏構想のもと、資源を求めてアジアの国々を侵略していきました。1938年当時の外相は大東亜には南洋諸島・仏印・タイ・マレー・英領ボルネオ・蘭印・ビルマ・オーストラリア・ニュージーランド・インドをふくむと発表しましたが、オーストラリア・オランダ・イギリスなどから反対の声があがりました。

写真解説

更新日:2025年12月22日